2017年03月14日

欲しいものが手に入る「現実の創り方」

ここの所、役所関係を回っていて氣付いたんだけれども、
「役所って、意外に人に優しくないかい?」
って。

十数年前、ドイツから戻ってきた直後や、
十年前に、ブラック企業を命からがら辞めた頃と比べて、
格段に優しくなった氣がする

十年余りたって、人の意識も変わったのだとは、思う。


ただ、それ以上に、ワタシが変わったんだなと…

欲しいものを我慢しまくっていたし、
人にモノを聞くことなんて、恥ずかしくてできなかったし、
ワタシが「豊かさを受け取る価値がない」と思い込んでいたし、
苦労して、努力しないと欲しいものは手に入らないと思い込んでいたし
貧乏なのは社会が悪いと思い込んでいたし…

相当、こじらせていた。

だから、役所に行っても、思ったように手続きが進まずに、イライラしていたし、
無駄に時間がかかっていたように思う。


今であれば分かる。
そりゃ、拗ねてしまっていたら、思うようなモノを受け取れる訳ないし、
次から次へと、「難儀なこと」が降ってくるわ…と。


最近では、過去の感情を感じ切って、どんどんと軽くなってきていた実感は、日々あった。
素直になったら、本当に楽になった。

でも、10年余りの時間の間にある、この「世界」のギャップに、
これほどまでに現実が大きくいい方向に動いているのを目の前にして、驚きしかない。

「ワタシが世界を創っている」
この静かな驚きをじわじわと感じている。

現実は動くよ、意外に簡単にね。
「信じて動く」それだけ。
posted by KAZU at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

ワタシの「原点」

京都・伏見より
江戸時代、この川を下ると、大阪を通じて、あの北海道の増毛まで航路が通じていたんだ。
#旅に出る日本史


最近になって、ワタシの原点を思い出してきた。

ワタシの実家は、新幹線の駅のそばだった。
滅多に乗るものではなかったので、子どもの頃はどこに繋がっているのか、
いまいちピンと来なかった。
新幹線に乗ったらどんな所に行くんだろう…なんて、思っていた。


休みの日の昼間…何をする訳でなく、自宅から空を眺めていたこともあった。
ワタシがどこから来たんだろう…そんなことを不思議に思い空想していた。

そんな時間がとても愛おしかった。


伏見の街から宇治川沿いに出て、撮ったのがこの写真。

秀吉・家康によって整備された、城下町+港町の伏見。

今となっては、行き交う船の姿はない。
その代わりに、自動車や列車が行き交う。

でも、この街から川を下れば大阪、
そこから更に日本海に廻る北前船の航路で、北海道・増毛まで通じていたんだと思うと、
新幹線を見て喜んでいた、昔のワタシに繋がる。

そして、この空も昔のワタシに繋がっている。

現実から逃げたくて旅行をしていた時期があった。
でも、ここの所は、旅をしながら何かワタシに繋がるものを感じて、
満ち足りるモノを覚えるようになってきた。

交通の要衝だった伏見…今でも色々な所に出やすく、
ここに住むようになって、非常に足取りも軽くなってきた。

「空間」や「人」に残った記憶を読み取るのが、好きなワタシ。
原点がだんだんとはっきりしてきた。
posted by KAZU at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月08日

その言葉 ちゃんと主語がありますか?

主語のない言葉が、世の中飛び交っていて、それが変な現象を産むことが多い。

例えば…

「一生会社勤めすべき」とか、
「仕事なら、嫌なことがあっても我慢すべき」とか、
「結婚して家族を養うべき」とか

これ、誰が決めたの?
勝手に決めないでくれる!!


って、言ってしまっていいと思います。

「これ、誰が決めたの?」という問いかけって、結構強力で、
こういった、社会ではびこっている、しょうもない「べき論」を片っ端からバッサリ斬ることができます。


行動を縛ろうとする、卑怯者の言葉って、この「主語」が徹底的にない。

「常識では」「社会では」「みんなは」といった、言い方しかできないし、しない。

だって、
違うことして攻撃されるの怖いんだもの。
でないと、その「べき」の内容に魅力がないのに、守っているのが、馬鹿らしいものね。

安全な所から、その「べき」から外れようとする人間を撃墜して溜飲を下げる。

ワタシが決めていないことって、「ワタシは」という主語が出てこないもの。


「で、あなたはどう思っているの?」と聞いて、
「ワタシは」と主語付きの意見が出てこないようなら、「ふ〜ん」と思って聞き流していればいい。

まず傾聴する価値がないだろう。
だって、集合意識の中にある常識の話をしているだけだから、つまらない。

ただ、それを態度に出したり、反論しまうと、
馬鹿にされたと相手が思い込み、面倒なことになるから、聞き流すのが一番いい。


もっとも、「社会通念」を何でもかんでも否定しろと言っている訳ではない。
良いモノだったら採用すればいいだけ。

「主語のない亡霊の言葉」
そんなものからワタシをさっさと自由にした方がいい。
posted by KAZU at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | これからの社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする