2017年06月14日

自分で仕事をするならば、ブログを書いた方がいいと思う理由

ブログを書いていると、あまり面識のない方に会ったとしても、
あるいは、久しぶりに会ったとしても、話が早く進むので助かる。

というのは、自分の、伝えたいこと、氣にしていることは、ブログに置いてあるからだ。
その結果、自分の背景を一から話す回数・時間が減ることになる。

すると、いきなり本題から入ることができるし、親近感もより湧くことになって、話の進み方が格段に違う。


Webに、(過去のものだったとしても)自分の「分身」を置いておく、と考えたら、
いいかもしれない。
その「分身」が勝手に自分のことをしゃべってくれている。

こんなにありがたいことはない。

自分で仕事をするとなったら、書けば書くほど楽になっていくことを最近実感したところだ。
posted by KAZU at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | これからの社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

差別しておいて、協調性を求めるのっておかしくない?

学歴の話で、久しぶりに頭が痛い。


仕事を探していて、職務経歴書を某所へ持って行った時の話。

担当者が酷かった。
ワタシが「旧帝大卒」だと氣付いた途端、突っかかってきた。


面接にたどりつくだけでも苦労するだの…云々。
その上、人の経験を否定しておいて、1ミリも興味持てない職種の話をしだす。


どやかましいわ!

昔も仕事を探していた時に…
「高学歴」だと見ただけで、グチグチ突っかかってくる面接官も、たくさん見てきた。
その手の自分の劣等感をぶつけてくる奴も、たくさん見てきた。

大人だけじゃない。
子どもの頃から、「頭がいい」ことをやっかんで、面倒なことしてくる奴が本当多かった。


手前の勝手な狭い世界での偏見、
自分では手に入らないゆえの「マウンティング」、
あるいは、自分の理解を越えてしまっている「不気味さ」を感じている、というのが、今であれば頭では理解できる。


学歴なんて、世に出てしまえば微塵も役に立たないから、別にどうでもいいと自分では思っている。
が、学歴の話をせざるを得なくなった瞬間、
否応なくこういった鬱陶しい感情をぶつけてくるのが、後を絶たないのは、非常に腹立たしい。


そして、やっかみを受ける度に、
何かワタシが悪いことしたんか?
「頭がいい」ということは、そんな罪深いことなのか?って、ね。
「存在していてすみません、もう消えます…」とでも常に言い続けないと、アカンのかって。

何でここまで卑屈にならないといけないの?
たまたま「頭がいい」という属性を持っていただけで、何でこんな生きにくい思いをしないといけないの? って思う。


ふざけるな!

自分の能力を伸ばしてきただけなのに、こんな不当な扱いを受けるいわれは一切ない。


はっきり言う。

「学歴」自体は、何も生まない。
ただ、学ぶことに意味があるかも知れないだけの話。
何かに打ち込むことのできる証明にひょっとしたらなるかも知れない程度。

「学歴」を仮に誰かに譲渡することが許されるのであれば、喜んで差し出す。
まして、こんなクソみたいな差別を受けるのであれば、何の対価もいらない。


他人の「学歴」にやっかみを入れている暇があるのであれば、それ以外のことで自分を本気で伸ばせばいいだけの話。

だが、嫉妬からか、人の足を引っ張ることしか考えていない大人が多すぎる。


そんな差別を片やしておいて、そんな態度を若い世代に見せたとして、
果たして若い人たちが「勉強」することに意味を見いだせるか、ちょっと考えて見て欲しい。

できる限り目立たないように大人しくしようとする人が断然増えるだけだ。

それで、「個性のある人材が欲しい」とか、
「自己研さんを積んで欲しい」とか、おかしいと思わないだろうか?

自分の能力を伸ばすために努力するのが、馬鹿らしくなったりしないだろうか?

出る杭を打つくせに、特徴のある人間が集まる訳ないでしょう。
だから、この国には、つまんなそうな顔した面白くない大人が多い、非常に残念な状態だ。


ニート増えている原因の1つは、結局そういうことなんじゃないの?

しょうもないことで目の敵にして、叩いて悦に入っている大人が多すぎるからじゃないの。
ストレスを人を叩くことでしか発散できない、情けない大人が多すぎるからじゃないの。

だから、他人の顔色伺っているうちに疲れてしまって、「会社人」なんかになりたくない…と思っていたとしても、何の不思議もない。


ここまではっきりと言うと、「これだから高学歴は協調性がない」とか言うのが必ず出てくる。

言いたければどうぞ。
ただ、同時にあなたを「差別主義者」として扱いますけれどもいいですか?

だいたい、意味も分からず叩いてくる人間と誰が仲良くやりたいと思うのだろうか?
一方的に差別しておいて、協調しようなんて奇特な人間なんていないだろう。


多くの高学歴の人は、わざわざここまで言わない。
ここまで言うと「品がない」と思っているから口に出さないだけ。

ただ、私は違うと思っている。
黙っているのをいいことに、差別的な行為を助長させるのは私は見過ごせない。



その某所から今後連絡があったとしても、一切相手にしないことにする。
関わった所で碌な結果にならないのは目に見えているから。


自分の能力や経験を、頭から否定されると、流石に腹が立つ。
それは誰だって一緒の話。

「頭がいい」ことを鼻にかけている人間は別だが…
「頭がいい」からと言って、一方的にサンドバッグになっていい理由は1つもない。

それだけの当たり前の話。
posted by KAZU at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | これからの社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

日付が確定しているのなら、海外の航空券はすぐ買うべし

元・旅行業の人間で、主に海外航空券を扱っていた。
その時によく受けた質問が…

「海外の航空券はいつが一番安いの?」というもの。

日程が決まっている場合は、基本は「決めたらスグ」というのが答え。


というのが、
海外航空券は「オークション形式」で決まっていると思ったらイメージしやすいと思う。

例えば、同じエコノミーでも、実は10くらい予約の「クラス」があったりする。

その「クラス」にそれぞれに値段と条件が付けられている

例えば、値段を安いクラスから

3.5万、4.0万、4.5万、6.0万円…と航空会社が決めているのだ。

そして、高ければ高いほど、変更や払戻が可能になったり、発券期限が緩やかになったり、復路の日数が伸びたり、マイルが溜まりやすかったりはする。

が、それぞれのクラスが席数限定になっているのである。

となると、通常は安い方からどんどん予約されていく。
そして、3.5万円の席がなくなったら、次は4.0万円で…となっていくのだ。

それを往路と復路の合計で見ていくことになる。

裏では、細かい話は色々あるが、概ねこんな感じである。


だから、同じエコノミーの席に座っている人でも、隣同士で値段が違うのが普通だ。

そして、最近だと、予約の保持がかなり制限されてきた。
予約してから3日〜1週間以内には、予約の確定(=支払・発券)をしないと、予約が容赦なく無効にされる航空券が主流になっている。


だから、日程が決まっていて、変更の可能性がほぼないのであれば、さっさと予約を取ってしまった方がいいのは、それが理由なのだ。

運よく、下のクラスの予約が開いて安くなることは確かにある。
そしたら、ありがたくさっさと予約した方がいい。

プロモーションの関係で、航空会社が安値を打ち出すこともあるが、
それはよっぽど予約が集まらない状態だから、起こることなのだ。
だから、わざわざ、そんなプロモーションを狙って行こうというのは、よほど運がいいか、暇があるかでないとできないと思った方がいい。


そして、航空券の値段の比較にしても、航空会社間の比較以外、ほとんど意味がない。
航空券の本体価格については、ほとんどの航空券については、旅行会社が色を付けることは難しく、せいぜいあっても手数料の差だけだ。

だったら、激安マニアの物好きでもない限り、日程が決まったら、気に入った所でさっさと予約してしまった方がいい。
早く動いた、素直な人が、安い航空券を取っていくことになるだけの話だ。
posted by KAZU at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする