2017年04月26日

「若返り」している、その理由

雨の中、見かけた、#藤棚 。
#藤の花 も咲き始めたところ。


心身の強制終了から3か月たち、ちょこちょこと新しいことを始めた。

ちなみに、強制終了から1か月後にこんなこと書いていた…
http://kazu-wiz.seesaa.net/article/447535423.html


写真をインスタグラムで上げているのもそうだし、
心から出てくる言葉をそのままブログに書き始めたのもそう。

はっきり言って、やりたいから、やっているだけ。
ただ、それだけ。


今までやりたくないことに我慢しまくっていた、反動なのかもしれないけど、
贅沢な時間の使い方をしていると思う。

そのおかげなのか、学生にも見られるくらいに「若返り」をしているらしい。


めちゃくちゃ刺激的な生活をしている訳ではない。
でも、静かながらも、驚きのある生活をしている。

それこそ、こんな花咲いている…とか、
この街の雰囲氣がいいとか…、そんな小さな驚きに氣付く日々。


好きなことをしているのもそうだし、
この「静かな驚き」というのが、ミソなんだろう、と思っている。


子どもって、日々驚きに満ちていると思う。
そして、その驚きを誰かに伝えたくて、色々話している…そんな感じじゃないだろうか?


リアルで驚き、ネットで喋っている。

ああ、そりゃ、若返るよね、と文章を書きながら氣付く、ワタシ。


1日に10分でもいいから、静かな「驚き」のある時間があった方がいいと思う。
それだけでも、だいぶ違うと思う。

その「驚き」がないから、世の大人って「死んだ顔」していたんだ…と氣付き、
幼心から感じていた「不思議」が、解消していく感じがしていた。


見た目は大人、頭脳は子ども、名探偵コ○ンの逆の状態。
どういう訳か、長年迷宮入りしていた「謎」を解いてしまった。
posted by KAZU at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

好きに表現していいんだよ

文章を色々書いていますが、
ワタシが、実は作文が大嫌いだった、と言ったら、多くの人は驚くかもしれない。

その理由は…

・「書けない」という状態に対して、フォローができない。
・そもそも書き方を教えられる教師が、ほとんどいない。

のに、書けないでいると、怒ってくるし、一方的にできる、できないと裁いてくる。

その上…
・「こう書くべき」というのから逸脱したら、一方的に先生が怒る。

上手くなる方法すら、教師が教えられない癖に、
何で一方的に評価をつけられるのか、それが理解できない。


言い返せる子であれば、まだいいのかも知れないが、そうでないと、理不尽で嫌な記憶しか残らない。

「あ、ワタシ、モノを言っちゃいけないんだ…」って。

同じような感じで、図工で理不尽な目に遭えば、
「あ、ワタシ、絵を描いちゃいけないんだ…」となってしまうし、

体育で理不尽な目に遭えば、
「あ、ワタシ、スポーツしちゃダメなんだ…」となってしまう子が、でてきてしまう。


そんな理不尽な感じが、ワタシ大嫌いなんだよね。
そして、心の中に重いものを抱えてしまい、みるみる輝きを失ってしまうんだよね。



ワタシの場合、海外に行くことができて、
「洗脳」から解けるきっかけがあったことは、本当に運が良かったと思っている。

というのは、「表現する」ことが良しとされるから、
少なくとも「書く」自分というのを肯定することができた。


日本ではびこっているこの感じが、「おかしい」と氣づくことができたから。

ドイツから戻ってきたとき、本当に驚いたモノ。日本に戻った瞬間に、一様に顔色が悪いのだから。



自分の感じていることを表に出していっていいんだよ。

別に誰かに見せなくてもいいから、自分の内にあるモノをさらけ出したら、本当に楽になっていく。
それだけなんだよね。

上手い、下手は関係ないし、自分の氣持ちが晴れていく…それだけでいい。


そう思って、文章を書いてきたし…
氣が付いたら、絵は描けないのに、冊子のレイアウトなんかも、仕事でやっていたし…
最近だと、写真まで撮るようになった。

この「解放感」というのを、もっと伝えていきたい…なんて思っていたりする。
posted by KAZU at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | これからの社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

「写真」にのめり込んでいった理由

#京都鴨川 の #納涼床 が準備中。

床で飲食できるのは、5月〜9月の間。

#京都 #鴨川


「写真」を撮っていると、時間を忘れることができる。

列車の中でも、街中でも、ふとした一瞬を切り取ってみたくなる。

「イマ、ココ」がきっちりと合った瞬間に撮れる、その「一瞬」が愛おしくて仕方がないのだ。
そして、その「一瞬」が撮れた時の感覚がたまらない。


表現すること自体は、好きだ。

例えば、モノを書くこと自体は、随分長いことやってきたから、慣れた方法ではある。
変幻自在に言葉を操ることもできるけれども、何かまどろっこしい感じがすることが結構ある。

降りてきた感じを、どう表わしたらいいのか…
そんなことを思っているうちに、消えて行ってしまうことがままある。

どうしても、「イマ、ココ」を解釈して表現する分、タイムラグが発生してしまうのだ。


写真だと、「イマ、ココ」との感覚が近い。
だから、「一瞬」のために神経が研ぎ澄まされていく感じがする。

その感じも好きなのかな…と。
posted by KAZU at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする