2017年05月10日

「男」をやめたい

生物的には「オス」なのだが、「男」として扱われるとつらい。

「男」をやめたい

色々な誤解を生むおそれがあるから、ちゃんと言っておく。

・ 肉体を「女」にして、完全に「女性」として生きたい訳ではない。
  (「女性」の振る舞いを四六時中求められるのもつらいのは分かっている)
・ ワタシは同性愛者ではない。 恋愛対象は女性だ。

そして、一番大事なのは…

・ 社会的な「男」に付与されたイメージが重過ぎる。それが、ワタシにはとことん合わないし、しんどくて生きづらい。

ということ。


小さい頃から、こんな「大人の男」を見てきた。

・ 家族を支えるために嫌々仕事に行って、しんどそうにしている父
・ 生まれ育った地域の男を見ていても、嬉々として仕事している奴を見たことない
・ 電車に乗っても、一様に男の顔が死んでいる
・ 嫌なことがあったとしても、我慢を強いられる
・ 定年まで嫌であったとしても仕事をしないといけない。

子どものワタシには、こうなりたいなんて1ミリも思えなかったし、今でもそう。

じゃあ、どう生きりゃいいんだよ…なんて、ずっとイライラしていた。


まして、ワタシが中学生だった頃に、男女の関係については「最悪」の洗脳を受けていたようだ。

折りしもバブルの頃だった。
「メディア」で流れてくる、「アッシー」だとか、「メッシー」だとか「ミツグ」だとか…
「男」は「女」にここまでして当然みたいな感じ。

「世の女って、ここまでせんと、つきあえんの…」と唖然としていたもの。
心の底で思っていたんだろうね、「あ、これは相手するの無理だ」って。

実際には、そんな女性ばかりではないというのは、歳を取って頭では理解できるようになった。

でも、実際に付き合った経験のない当時中学生だったワタシは、
その狂った情報を、知らず知らずのうちに真に受けていたようだった。

イタタタタ…だよ。
実際は全然違うのにね。


何かしてもらって当然だと思っている人からだったら、「甲斐性なし」と言われるだろうね。
こんな話をしたら、一般的には「魅力的」には映らない話だと思う。


それでも、勝手に創造された「男性性」を要求されても苦痛以外の何物でもない。
まして、勝手にイラッとされた所で知ったこっちゃない。

「察して」ができない人間だから、言ってくれんと分からん…としか言いようがない。


「男/女だからどうあるべき」なんて話、もういらないんじゃないかな。

「男性性」だとか、「女性性」だとか、共通の「概念」を消費するために生きている訳じゃないんだから。


そんな勝手な「性別の概念」に踊らされて、何が楽しいの?と思う訳。
その「性別の概念」に苦しんでいたワタシも、同時にイタタタタと思う訳。

それでも「男性性/女性性」に踊らされたい人はどうぞ。
でも、ワタシはその「性別の概念」のダンスをしようと、手を差し出すことはしませんから。


「男」だから、「女」だからという「概念」振り回すの、お互いやめにしませんか?
じゃなくて、「ワタシはこうしたい」「ワタシはこうして欲しい」と言えばいいだけの話なのにね。


説教・批判・嘲笑・からかいなら、今まで散々受けてきたから間に合っている。

そして、肉体的な「性差」を否定するわけじゃない。
そこまで否定したら、「子どもが欲しい」という生物的なワタシたちをも否定することになっちゃうから、
おかしな話になってしまう。

一緒にいて楽しいと思える相手とだけ時間を過ごせればいい、ということだけ。
posted by KAZU at 20:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去のKazu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月27日

「休む」「楽しむ」ことに、「罪悪感」があるんじゃないの?

「ザ・勤勉」とでも呼んでも構わない、ワタシの過去。

でも、しんどかったよ。
だって、「休む」ことや、「楽しむ」ことに対する罪悪感がありありだったもの。

10年前なんて、心身病んでも、更に身体に鞭打って、無理やり動かしていたものね。
今だったら、絶対にやらない。(苦笑)
お金をたんまりもらっても、絶対にイヤ。


「みんな頑張っている」とか、
「自分が休んだら迷惑がかかる」とか、そういうのいらないんだよね。


ビックリするのは、旅行の仕事で、卒業旅行に行く大学生を相手していて…

「長い休みを取れるのはこれで最後だし…」とか言い出す。

「え、ちょっと待てよ!!」って言いそうになって、口をつぐむ。
それ、見事に洗脳されていない?と私は思ってしまう。


特に、ドイツから戻ってきたときはショックだった。
だって、1か月くらいの休み、取るのが普通だったから。

⇒参考に、ドイツの労働環境については…
プレミアムフライデーって、本当に「プレミアム」なの?
http://ameblo.jp/kantan-doitsugo/entry-12252926144.html


だから、日本に戻ってきて、絶望した。

何のために生きているのか分からない…そんな人ばかりで、
相談できる人も、話を分かってくれる人もいなかった。
こんな話を10年前にしていたとしたら、「我慢しろ」だの、「甘い」だの言われて、
一方的に説教されていた。

ああ、ドイツに行ったことが無駄だったんじゃないのか、とすら思った。
ドイツに行きながら、そのことを7年くらいほとんどしゃべらない時期があった。

このことが一番つらかった。



でも、日本に戻ってきて、10年以上たって分かってきた。

「みんなで頑張る」とか、「自分が休んだら迷惑がかかる」とか、
休むことに「罪悪感」を植え付けられているんだな…と氣付いた。


思い返してみれば、小学生の頃から、「休まず行く」ということを徹底的に叩き込まれていた。

ここからすでに、「休む」ことへの「罪悪感」を植え付ける「洗脳」が始まっていたんだな、って。

工業化の時代だったら、一万歩譲って理解できない訳じゃない。
9時−5時で従順に働いてくれる労働者を創るために必要だったのだろうとは思う。
(それが良いか悪いかは別として)

これで、「日本勤勉教」が出来上がってしまった訳。

でも、工場の生産ラインですら機械化がどんどん進んでいるなかで、今さらそれ重要なの?と思う。
もういらないんじゃないの?って思う。


もっと「人間臭い」ことの方が重要でしょ。

「イマ・ココ」に何でいるのと訊かれたら、
今であれば「楽しむために生きている」と迷いなく言える。

だったら、「楽しむ」ことを生み出すことの方が、いいんじゃないの?とワタシは思う。

このことが、ワタシの中で腑に落ちてからは、一氣に心持ちが楽になった。


そこにあった「罪悪感」というのは、ただのまぼろし。
越えてしまったら、他人のやっかみすら、全然氣にならなくなる。


ただ、その一線を越えるのが怖い、というのもよく分かるよ。

敬虔な「日本勤勉教」の信者が、
「何であんただけ楽しようとしてんの?」とか、
「みんな頑張っているのに、あんただけ何してんの?」とか、洗脳にかかってくるからね。


でも、そんなつまらない人の言うことを、はいはい聞いていて楽しいの?って思う。

そんなつまらない人に嫌われるのを怖がって、自分の人生を台無しにする方がもったいないと思う。
ワタシも日本に戻ってきて長年何やっていたんだろうと思うくらい、悔しかった。


だから、「楽しむ」こと、しんどかったら「休む」ことを大切にして欲しいと思う。
posted by KAZU at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去のKazu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

「仲良くすべき」と言ったところで、具体的にどうしたらいいのですか?

色々ストレスが溜まって寝込んでいた。
そしたら、今まで溜めこんでいた感情が、一氣に出てきた。

ちょっとずつその感情を消化していくために、過去に感じていたことを書いていきたい。

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ワタシには友達が少なかった。
それが氣に病んでいたことだった。

でも学校では「みんな仲良くすべき」なんてやる。
それが苦痛でしかなかった。

かつて「イジメ」を受けていたワタシ。
他人を肉体的・精神的に苦しめてくる人間と、どうやって共存しろと?

でも、多くの大人は、ただ「みんな仲良くすべき」としか言わない。
「どうしたらいい?」と尋ねた所で誰も答えを持っていない。

そして、大人は、往々にして「イジメ」を受ける側に我慢を強いる。
もうちょっと年を取ると、「大人になれ」なんて言われたりする。
それは間違いなく「我慢しろ」というのとほぼ同義。

子どもの頃は、この違和感を言語化できなかった。

この違和感が、更にワタシをズタズタにしていた。
「あ、誰もワタシのことを理解してくれる大人なんていないんだ」って。

そんな小さい頃を思い出して、今、泣いている。

心が痛くて仕方がない。
この感覚が、最近までずっと尾を引いていたことに氣付く。


仲良くできるのであれば、それに越したことはない。
でも、「みんな仲良くす『べき』」なんていうのは、絵空事。

それは、「いじめ」や「いさかい」なんて「存在してはいけない」という論理になってしまう。

その結果だろうか、学校でも社会でも、誰も「いじめ」や「いさかい」の存在を認めたがらない。
世間様から叩かれるのが怖いから、しぶしぶ認めているだけ。


だから、この国の多くの人間が病んでんだよ。
「ある」ものを「ない(=あってはいけない)」と言って、お互い我慢させているんだから。

そんな古臭い不幸の擦り付け合いやめようや、ホンマに。


基本線は「仲良く」でいいのだけれども、壊滅的に共存できない相手だって、残念ながらいる。


「危ない」と思ったらすぐに逃げたらいいんだよ。
力が戻ってきたら…その時に行きたい所に行けばいいのだから。


でも、別の世界に行ったら、
何でも話せる友人、無条件に一緒にいて楽しいと思える友人が、ちゃんといる。

そのおかげで、救われてきたし、癒されてきたし、
そして何より、ワタシも今こうして生きている。


書き切ったら、また泣けてきた。
posted by KAZU at 18:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去のKazu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする