2017年04月21日

「反応」が相手の言葉を引き出す

最近、セミナーでお話を聞く機会が続いたのですが、
その際に、色々な方から、感謝されたことがありました。

それは…
「うなずいたりなど、反応していたこと」

実際に、ワタシもこのことを伝えていただいて、非常に嬉しいことだったんです。


ワタシも集団の前で話す機会が、結構あったのですが、
その際につらいのが、「何の反応もないこと」。

想像以上につらいですよ。
話そうとしても、だんだん話しにくくなりますからね。


嘘だと思うのであれば、一回実験してみて下さい。

友人を誰か1人捕まえて、1分くらい自己紹介をさせてみて下さい。

その時に、
1回目:何があっても反応しない
2回目:いつもの倍くらい、うなずくなどリアクションする。

そして、反応を見ていてください。一通りやったら感想を聞いてみて下さい。

2回目の話のしやすさ、格段に違いますよ。

プロのインタビュアーみたいな言葉回しはできなくても、
うなずくのだったら、すぐにでもできます。


そんなの恥ずかしいと思うかも知れませんが、案外周りの人は見ていません。
話し手は、助かると思って、喜んでくれますよ。

話が納得いくようだったら、うなずくなりなんなり、してあげた方がいいです。
そうすることで、話し手の言葉をどんどん引き出す事ができますから。

2016年12月21日

冬至に話す ケルト暦

冬至にちなんで、季節に関わる読物を…

昔、「魔術」の世界をかじろうと、色々調べものをしていました。
と言っても、本格的な術式をすることはなかったのですが、
ケルト人については、色々興味を惹かれることがありました。


欧州にキリスト教が入ってくる前。
欧州の北の方は、ケルト人が住んでいました。

ただ、ケルトの暦というのが面白くて、1年を8分割するんですね。

どう8分割するかと言うと…
まず、我々にも馴染みのある4分割をします。

春分・夏至・秋分・冬至

彼らは、それぞれこう呼んでいたようです。

Ostara・Litha・Mabon・Yule

これは太陽の運行で分かる話。(どうやら天文学の知識はあったようです。)
今のカレンダーでも、だいたいの時期が分かるかと思います。


さらにそれぞれを2分割したものを加えると…

Imbolc
Ostara(春分)
Beltane
Litha(夏至)
Lughnasadh
Mabon(秋分)
Samhain
Yule(冬至)


となります。

これだけだと「?」となるので、ちょっと説明を加えていくと
これ、日本の暦にある、二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬と時期は同じなんですね。

Imbolc(インボルク):2月頭≒立春
Beltane(ベルテイン):5月頭≒立夏
Lughnasadh(ルーナサ):8月頭≒立秋
Samhain(ソーウィン):11月頭≒立冬



暦自体、1年をどう分けるのか、という話なので共通の分け方が出てきたとしてもおかしくない、
と思うかも知れませんが、
ワタシにはただの偶然ではないように思います。


しかも、Beltane・Samhainというのは、
ケルトの暦では重要な日…と言うよりも、厳密には「重要な夜」だった
のです。


というのが、彼らは「暖かい時季(暖季)」「寒い時季(寒季)」の2つに大きく分けていたのです。

Beltane(ベルテイン・5月頭)= 寒季暖季
Samhain(ソーウィン・11月頭)= 暖季寒季


と、季節の変わり目だったんですね。

実は、
5月1日には、「ヴァルプルギスの夜」だとか他の名前などで、火を焚く習慣が欧州の一部であります。
また
10月31日の夜は…ハロウィンですね。この日もランタンに火を入れますよね。


これ…
季節替わりの「魔除け」のために、火を焚いたりしていた訳なんです。


こんな感じで…
キリスト教が入る前の習慣が、形を変えて残っていることが、ヨーロッパでもあったりします。


でも、こういった習慣は、「中心部」ではなくて、
若干失礼な言い方をすれば
「辺境」に残っていることが多いんですね。


あるいは、「クリスマス」のように、「冬至」の時期のお祝いをキリスト教が布教のため、形を変えて祝っている…なんてこともあったりします。


こういう「隠れた文化の痕跡」を求めて、色々な所を旅行しています。

最近になって、
ひょっとして日本って、「隠れた文化の痕跡」だらけの面白い国なのでは…と感じるようになってきました。

ま、「国」という単位自体小さすぎる話なのかもしれません。

おそらくは、根っこを見ていったら色々な文明のルーツが繋がっているのでは?
とさえ感じることもあります。


ま、若干お酒の入った与太話だと思って読んでもらえればと。
ラベル:ケルト 冬至

2016年12月17日

やりたいこと、1つに絞る必要なし!

ワタシの悩みだったことの1つ。


世間一般では、何か1つのことを極めることを良しとするきらいがあるけれども、
ワタシにとっては、結構これがつらかった。


何せ興味が色々移っていくし、やりきったら割と早く飽きてしまうたちのようだからだ。
そして、割と興味を持つ範囲があるためか、「やりたい」ことが分散してしまっていた。


大学でも専門をなかなか決められなかったし、
「将来何をしたいのですか?」と言われても、やりたいことが色々あり過ぎて、
何て答えていいのか、分からないくらいだった。

ワタシの「専門」が分からなくて、本当にもがいていた。


でも、氣づいたんだよね。
「専門」なんてもの、ただの名札。

1つのことに、専念できる人はすればいいけれども、何かの「専門」になろうなんて思う必要ないんだよね。

何か知らないけど、やりたいことをやっていったら、氣が付いたらいっぱしに出来るようになっているものなんだろうと思う。

だから、別にやりたいことを手当たり次第、片っ端からやっていったらいいんだって。
そして、片っ端から発信していく、それでいいんだって。



悩んでいたのが馬鹿らしくなるくらい、すっきりした。