2017年05月23日

自然に入っていく意味 @京都・和束町

#お茶 の町 #和束町 より

#茶畑 #お茶の京都



今回は、縁あって、京都府南部の「和束町(わづかちょう)」に行って参りました。

京都・奈良・滋賀の境目にある、山間のお茶の産地です。
道中の車窓から、山の斜面を見ると、深緑の茶葉に、「かぶせ茶」の黒いシートのお茶畑が広がっています。


お招きいただいて、人の手を入れていない、無農薬のお茶畑に行ってみたのですが…

自然の中にいて解放感がそれまででもあったのですが、
縮こまっていたワタシの芯の部分まで、ゆるくなっていく感じがしていました。


神社も巡っていたので、自然の中に入っていく機会は多かったのですが、
それと比べると、やさしいゆるみ方でした。


ヒトも「生物」だということを忘れてしまいがち。
その自然の中に戻っていくことで、ワタシを調整し直すことができるのだと、改めて感じる。

神社にあるような神々しさもいいのだけれども、
このやさしさも、良い体験でした。

都会に住んでいると、忘れがちですが、定期的に自然に触れ合うこと、本当に大事です。

2017年05月19日

嫌な記憶があって地元を離れた人ほど、「産土神社」に戻ると良いと思った話

弾丸で「産土神社」に行ってきた。
「産土神社」とは、自分の生まれた土地を見守ってきた「神社」のこと。

「産土神社」に行くと良いと促された話の中で「ピン」と来るものがあった。
だから、その日は、新大阪にいたにもかかわらず、夕方から新幹線を使ってさっさと行ってきた。


地元には、あまり良い記憶がないだけに、戻りたくなかった。
それでも自分のルーツを確認するつもりで行ってきた。


神社は整備されているとは言い難い状態だった。
でも、過去の記憶に触れるには十分だった。


すると、徐々にだが、自分の過去の感情が整理されていった。

特に、今感じているのは…

・ 「この世界にいてもいい」という安心感が戻ってきたこと
・ あれほど強烈だった、自己否定感がだいぶ薄らいだこと
・ 自分の才能とモノサシを信じても大丈夫だと思ったこと

おかげで非常に落ち着いた感じがしている。



何故ならば、記憶と場所は、深くつながっている。

それは色々な土地を巡ってきただけに、実感してきたことだ。
行った瞬間に「空気」の感じが変わることを多々体験してきたからだ。

だから、地元の「記憶」と中立に繋がり直すことで、自分の感情が整理がされるだろうと、
「産土神社」の話を聞いた瞬間に予感できていた。


実際に、その読みは当たっていて、「安心感」と「過去の感情の手放し」に繋がったのだった。


もちろん、現在進行形で地元でトラブルがあって、戻ると具合が悪い人に、「産土神社に行って来い」と言う氣はさらさらない。
ワタシも地元に戻りたくない氣持ちが強かっただけに、行きたくない氣持ちは分かるし、強制する氣は全くない。


あくまで、過去に地元で何かあった人は、あくまで自分の氣持ちの整理がある程度ついた時点でいいと思う。

自分の感情を整理すると思って、一度でいいから独りで「産土神社」の記憶に触れてみるのは、オススメだと思った。

今回のワタシみたいに、誰にも何も言わず、こっそり行くことだってできるのだから。
その後、ワタシみたいにネット上にそのことを書きさえしなければ、良いだけなのだから。

2017年05月16日

重苦しい「過去」を手放すには? @鞍馬

貴船側から #鞍馬山 散策。
#魔王殿 にしばらくいた後、一氣に #鞍馬 の山門へ。


写真にあるのは、鞍馬山にある「魔王殿」
ここで午前中に40分余り、周りの雰囲氣を感じ取り、静かにしていました。


山林に入っていって、単純に物理的に人から離れるだけでも、自分の心の中が浮き上がってくる。
信仰の対象になっていた場所であれば、なおのこと「心の中が揺さぶられる」感じがする。

GW中に、出羽三山に行ってきて…
http://kazu-wiz.seesaa.net/article/449650039.html


確かに浄化された感じがあったのです。解放感はあったんです。

でも、どうも「心が重い」まま。
いや、長年、奥底に押し込んでいた「嫌だ」と思っていたものが、浮き上がってきた。
けれども、それが何であるかが分からない状態だった。

そんな時に、普段お世話になっている、新大阪のサロンで「日本の神様カード」を引いたら、
出てきたのがまた「天翔ける天狗」(笑)

http://ameblo.jp/hasujapan/entry-12274077335.html


ということで、天狗にゆかりのある、鞍馬に来ていたのです。


凄いのは、感じていた重いものが、やはり浮き上がって、消えていったこと。

それは何かと言うと、「〜すべき」という過去の記憶


このブログでも何度か書いてきたけれども、
「〜すべき」という古い考えなんて、もういらないと思っている。

小さい頃に知らず知らずのうちに植え付けられた「〜すべき」という考えで苦しんでいる事は、本当に多い。

「〜すべき」というのは、そもそも「ワタシ」の言葉ではない。
そして、「イマ・ココ」の「ワタシ」に合わないことの方が多い。



それがちょっとずつでも減っていくと、どんどん生きるのが楽になってくる。

「イマ・ココのワタシが、何を望んでいるのか?」
その感じに耳を傾け、忠実になることが、一番楽しいのだろうと思う。


自分の心の内に聞いていってもいい。
確かに、その邪魔になっている感じが見つかることもある。

ただ、その「望み」に意識が向かないことだってあり得る。

そんな時は、山林に潜るのが一番手っ取り早い。
そうしたら、心の中がほぐれていく。

京都から比較的近く、集合意識から離れた場所なので、オススメです。