2017年03月10日

ワタシの「原点」

京都・伏見より
江戸時代、この川を下ると、大阪を通じて、あの北海道の増毛まで航路が通じていたんだ。
#旅に出る日本史


最近になって、ワタシの原点を思い出してきた。

ワタシの実家は、新幹線の駅のそばだった。
滅多に乗るものではなかったので、子どもの頃はどこに繋がっているのか、
いまいちピンと来なかった。
新幹線に乗ったらどんな所に行くんだろう…なんて、思っていた。


休みの日の昼間…何をする訳でなく、自宅から空を眺めていたこともあった。
ワタシがどこから来たんだろう…そんなことを不思議に思い空想していた。

そんな時間がとても愛おしかった。


伏見の街から宇治川沿いに出て、撮ったのがこの写真。

秀吉・家康によって整備された、城下町+港町の伏見。

今となっては、行き交う船の姿はない。
その代わりに、自動車や列車が行き交う。

でも、この街から川を下れば大阪、
そこから更に日本海に廻る北前船の航路で、北海道・増毛まで通じていたんだと思うと、
新幹線を見て喜んでいた、昔のワタシに繋がる。

そして、この空も昔のワタシに繋がっている。

現実から逃げたくて旅行をしていた時期があった。
でも、ここの所は、旅をしながら何かワタシに繋がるものを感じて、
満ち足りるモノを覚えるようになってきた。

交通の要衝だった伏見…今でも色々な所に出やすく、
ここに住むようになって、非常に足取りも軽くなってきた。

「空間」や「人」に残った記憶を読み取るのが、好きなワタシ。
原点がだんだんとはっきりしてきた。
posted by KAZU at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月08日

その言葉 ちゃんと主語がありますか?

主語のない言葉が、世の中飛び交っていて、それが変な現象を産むことが多い。

例えば…

「一生会社勤めすべき」とか、
「仕事なら、嫌なことがあっても我慢すべき」とか、
「結婚して家族を養うべき」とか

これ、誰が決めたの?
勝手に決めないでくれる!!


って、言ってしまっていいと思います。

「これ、誰が決めたの?」という問いかけって、結構強力で、
こういった、社会ではびこっている、しょうもない「べき論」を片っ端からバッサリ斬ることができます。


行動を縛ろうとする、卑怯者の言葉って、この「主語」が徹底的にない。

「常識では」「社会では」「みんなは」といった、言い方しかできないし、しない。

だって、
違うことして攻撃されるの怖いんだもの。
でないと、その「べき」の内容に魅力がないのに、守っているのが、馬鹿らしいものね。

安全な所から、その「べき」から外れようとする人間を撃墜して溜飲を下げる。

ワタシが決めていないことって、「ワタシは」という主語が出てこないもの。


「で、あなたはどう思っているの?」と聞いて、
「ワタシは」と主語付きの意見が出てこないようなら、「ふ〜ん」と思って聞き流していればいい。

まず傾聴する価値がないだろう。
だって、集合意識の中にある常識の話をしているだけだから、つまらない。

ただ、それを態度に出したり、反論しまうと、
馬鹿にされたと相手が思い込み、面倒なことになるから、聞き流すのが一番いい。


もっとも、「社会通念」を何でもかんでも否定しろと言っている訳ではない。
良いモノだったら採用すればいいだけ。

「主語のない亡霊の言葉」
そんなものからワタシをさっさと自由にした方がいい。
posted by KAZU at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | これからの社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月07日

「無様」を越えた向こう

「無様」でもいいと思えると、一氣に楽になる。
昨日も書いたけど、その感覚が腑に落ちた。

「無様」って、他人の評価や価値判断が入っている言葉なんだよね。
「他人の目」を氣にしている。
だから、動けなくなっちゃうんだよね。


だって、今までが、「他人の目」を気にする人生だったから。

学校でも会社でも「成績」に一喜一憂し、
かと言って、変に目立てば、「嫉妬」で返ってくる。
「好きなこと」を言えば、嘲笑された。

「出る杭は打たれる」そんな想念が主流の世界に、馴染もうとしていた。


でも…好きでもない人たちの「物差し」にワタシが従わないといけない訳?

評価や判断の基準って、言うけれども、それは誰が決めたものなの?

「常識」「通念」と言ったものでしょ?
「具体的な誰か」はいないんじゃないの?

もし仮に誰かが「常識」を振りかざして批判してきたとしても、
そんな人のこと、無条件で好きかい?

嫌われるのが怖いんだよね。
だから、「無様」だと言われるのが怖いんだよね。

嫌われるのを怖がって、
好きでもない人の「物差し」に合わせるよう、ワタシを曲げた所で、
その人、「物差し」をひん曲げてでも、「合わない、気に喰わない」と言うからね。


いいじゃん、放っておいて。
「無様」でもいいから、やりたいことやった方がいい。

どんな酷いものでも、慣れた世界を手放すのは正直怖い。
ワタシも今でも怖い。

氣付いた人から、「出る杭は打たれる」なんて古臭い世界脱出始めているからね。

そんな人たちの満ち足りた表情を見ていると…本当に幸せだと感じる。

ワタシは、「ワタシがやりたいことを全力で楽しんでいて、それを楽しめる人たちと過ごしていく」
それが一番いいと思う。
posted by KAZU at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | これからの社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする