2017年01月30日

オラクルカード、って?

これが今まさに起こっていること


自宅にある、ドリーン・バーチューのユニコーンの「オラクルカード」。
昨年に、今の住まいに引っ越してきてから、時々使っている。

これは何かと言うと、「『神託』を降ろすための媒体(カード)」である。
そして、昨日自宅でやってみた結果がコレ。

「神託」と言った瞬間に、疑って見る人もいるだろうけど、
これが、現状を結構言い当ててくれるから、面白い。

人間には、直感・第六感・虫の知らせ…と言った形で、
意外に「未来」というか、「あり得る現実」にアクセスできたりする。
「神託」というのも、その名札の1つだと思ったらいいと思う。

安定して、アクセスできるかどうかは別として、
もし、人間にその能力がないとするのであれば、そもそもそんな単語すら存在しないはず。

それに、このカードを眺めているだけでも…やんわりする感じがするし、
カードごとに「表情」があって面白いモノ。

「先読み」を手放すようになって、より的中することが多くなってきた気がする。

もっと、ズバズバと言い当ててくれる、カードもあったりして、
それがしっくりきたので、今注文中。
posted by KAZU at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | オラクルカード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月22日

「先読み」と「委ねる」 この大きな違い

「先読み」できると、ワタシは思い込んでいた。
それでそれなりに、世の中を渡ってくることができていた(つもりだった)。

でも、世の中のルールが変わったんだよね。

「理性」で何とかしてきた時代は終わって、色々、思ったことを「アラワス」時代になったんだよね。
それは、他でもないワタシが言ったこと。

それは受け取る段階でもそうだと思う。
「アラワス」ためには、「感じ取る」ことも大切。
そして、ワタシはある程度、感じ取ることができていると思い込んでいた。



しかし…昨日、中山さんの施術を受けている時に…
http://ameblo.jp/seedhouse/

やさしい言葉で、「思考に頼っている」と指摘を受ける。

その瞬間、脳天から全身に電流が流れる感じがした。

薄々、氣づいてはいた。
「考えること」に下手に自信があるものだから、「理性」に頼っていた。
あの手、この手を考えているワタシに、ひょっとしたら酔っていたのかも知れない時があった。

すると、やっぱり堂々巡りで考えてしまうことが少なくない。

その時に動いているのは頭だけ。
身体が高性能なセンサーだと考えたら、勿体ないことをしている。


怖かったんだよね、間違うことや、「一位じゃなくて価値がない」と思われることが。


「思考」を手放すようにしたら、楽になる…そんなことを昨日感じた。

ありがとうございます。
ラベル:委ねる
posted by KAZU at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月14日

「役に立つ」だけでは、もう通用しないのでは?

昔語りを少々。

ワタシの父、子ども時代に困窮していたからなのか、
「役に立つのか?」「金になるのか?」というのが、判断基準だった。

だから、「役に立たないこと」というのは、唾棄すべきものだと考えている節があった。

しかも、父は我慢した働いているものだから、
どうも「楽しそう」にしているワタシらを、どこか快く思っていない節があった。


だから、何かに熱中して遊んでいると、色々鬱陶しいことを言われたものだった。

しかも、インドアな遊び…例えば、ボードゲームとかが好きだったのもあって、
余計に目をつけられていたのかも知れない。

運動のできなかったワタシにとって、子どもの頃に、外に行く楽しさなんて、ちっともなかった。
はっきり言って、行きたくなかった。


氣が付いたら、ワタシも「役に立つこと」しか追い求めなくなっていた。
そして、感情を出さなくなっていた。


そこにあったはずの「楽しさ」だとか、「面白さ」だとか…
あるいは、理不尽さに対する「怒り」「悲しみ」も…


でも、「役に立つ」だけで生きていたって、面白くも何ともない。

ワタシが、進学校に行って感じた、数少ない嫌な面というのが…
「受験に関係ないことは一切しないノウハウコレクター」が、結構な数いるということ。

そんな人たちが世の中取り仕切っていったら…、そりゃ面白くなるはずがない。

彼らから、「何をしたい」ということを感じなかった。
そして、おそらくワタシもそうなっていた。


でも、最近よく感じる。
「役に立つ」を基準にする時代は、もう終わったと思っている。

そうじゃなくて、体感したことを自分の言葉で語ることができる。

それが、「違い」を生み出す
のだと。

それは、言葉でなくてもいい。
人によっては、絵であったり、映像だったり、身体を使う方法だってある。
手段はどうだっていい話。

でも、自分の体感を表現せずに、人の共感は得られないということ。

素直な感情表現には、本当に力がある。
言葉でも、他の媒体でも、感情が乗ったモノって、動かす力があるから。

ただノウハウだけをコピーしてやったところで、絶対に真似できないから。


それを表現するには、色々なことを経験してくことで、どんどんと磨かれていく。

「自分はどう感じているの?」ここを基準にしだしてから、本当に面白いことが多くなってきている。

だから、「役に立つ」もいいんだけれども…
そんなこと言う前に、自分はどう感じているの?
そこに氣付くことが、もっと大事なんじゃないかと、思っている。
posted by KAZU at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去のKazu | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする